東京地方裁判所 昭和42年(刑わ)1447号 判決 1969年12月24日
主文
被告人を禁錮一年に処する。
この裁判が確定した日から四年間、右の刑の執行を猶予する。
訴訟費用は全部被告人の負担とする。
理由
(一) 犯罪事実
被告人は、自動車運転の業務に従事しているものであるが、昭和四一年七月一一日午後一〇時すぎごろ、普通乗用自動車を運転して東京都板橋区本町三七番地先の幅員一六・七メートルの車道上を志村方面から巣鴨方面に向かつて時速約四〇キロメートルで進行中、前方に横断歩道があつたのであるから、このような場合、自動車の運転者としては、適当な速度に減速するとともに、前方を注視して、横断歩行者の有無およびその動静を確認したうえで進行しなければならない業務上の注意義務があるのに、これを怠り、十分に前方を注視することなく、漫然同一の速度で進行した過失により、進路前方の横断歩道を左側から右側に渡りかけ、その中央付近で犬を連れたまま立ちどまつていた高木喜作(当時二七年)に気付かず、同人の右側方に自車の右前部付近を衝突させて右斜め前方の路上に転倒させたため、おりから反対方向から進行して来た近藤重吾の運転する普通乗用自動車の右前部付近を右高木喜作の前頭部・顔面に衝突させ、よつて同人をして、その場で、右の衝撃による脳損傷により即死させたものである。
(二) 証拠(省略)
(三) 法令の適用
判示の行為は、行為時においては、昭和四三年法律六一号による改正前の刑法二一一条前段、罰金等臨時措置法三条一項一号に、裁判時においては、改正後の刑法の右法条、罰金等臨時措置法三条一項一号にあたるが、犯罪後の法律により刑の変更があつたときにあたるから、刑法六条、一〇条により軽い行為時法の刑によることとし、所定刑中、禁錮刑を選択し、その刑期の範囲内で被告人を主文一項のとおり量刑処断し、なお、本件は、被告人が横断歩道上の歩行者に全く気付かず、自車を同人に衝突させて路上に転倒させ、その結果、同人は対行車にはねられて死亡するにいたつたという事案であつて、被告は甚大で、また、過失の程度も重いのであるが、本件の横断歩道は運転者にとつて必ずしも見やすい場所に設置されていたものでなく、また、夜間、歩行者が、本件被害者のように、車道の中央線付近に立つていると、運転者としては、自動車の前照灯の光の交錯などのため、雨もようの天候の状況も手伝つて、歩行者の発見にかなり困難を感じるような状態にあつたこと、本件被害者は目が悪く、左右からの車の流れが続いていたのに、若干判断を誤つて横断を開始し、中央線付近まで行つてから、進むに進めず、退くに退けず、そのあたりでとまどつていたらしい形跡がうかがわれ、みずから危険な状態に踏みこんだのではなかつたろうかという疑いが残ること、衝突時における被害者の動静については、その場に静止して立つていたのか、反対方向からの車を避けようとして急に被告人の進路前方に後退して来たものか、など不明な点もあること、被害者の遺族と自動車会社との間に示談が成立していること、被告人の現在の心神の状態についても受刑能力の観点から一考せざるをえないことなど、諸般の情状を考慮し、同法二五条一項を適用して主文二項のとおり刑の執行を猶予し、訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項本文により全部被告人に負担させる。